2012年1月30日 (月)

軍事訓練

今日も大学受験パレード軍事練習参加

ひたすら足並みを揃える訓練を受ける

今週1週間遅バス強制収容所送りとなり

自分のプラスにならない強制学習を課せられそれに従う

この国の指導者は

ドラムなんかと発言する

ドラムじゃ食っていけないから普通の大学へと発言する

ドラムは、なんか的位置づけ

オーケストラのドラムというポジションは抜けられない

他の学校はみな冬休み中なのにこの国だけ違っていた

ライブがあるのでどうしても欠席したいといえば

ライブなんかじゃだめだろ、と発言する

「発表会ならいい」「言い方に気をつけるように」と注意を受ける

大学受験のポートフォリオ(提出映像)に必要と言ったら許可が出た。

あくまでも大学受験に関係した理由でないと簡単には許可されないようだった。

ライブは低俗的認識

そもそもジャズは発表会という表現をしない

ジャズのライブを発表会という認識は自分にはなかった

「はい、気をつけます」と言い直し謝罪する自分がいた

指導者に何を言ってもだめだといつからか諦めるようになっていた

ライブも正直に言わずかぜ欠席にすればよかったと思った

なんでも相談してというありがたい言葉をかけてくれる

でも、何も言えなくなっている

自分の為にアドヴァイスを言ってくれているんだと思うようにした

これまでに飛んできた言葉の石は、頭の中にジワジワと蓄積されてきていた


今まで100ステージ程やってきても、何も知ろうとはしてくれなかった

音楽の大変さなどわかってくれるはずもない

ある教科指導者においては

「自分の好きなことばかりやってて、公欠が多すぎます。授業にでることの方が大事。成績あげたければまず授業に出るように。」と発言する

好きなことばかりの軽い認識

成績上げたいとは一言も言っていない

テストでいい点数取りたいなんて一言も言ってない

何のために公欠としてくれているだろう

意味があるから公欠としてくれているのではないだろうかと思う

最近、軽蔑される ということの意味を知った

東大めざす勉強は好きなことという認識はないだろう

本気で音楽の勉強していたとしても好きなことと認識される

みじめ という言葉の意味もわかった

この認識の中で自分は今までやってきた

演奏会やライブがあっても、このブログでしかみんなに伝えられなくなっていた

ライブ来てくれていたり、花を届けてくれたり、宣伝してくれたり、応援してくれていたりする仲間の指導者の姿を見ていた。

この国ではありえなかった。

この国では順位付けされたもので上位であれば評価される。

バークリー賞をとってもおめでとう的反応ではなく、スカラシップを取れた程度のものであった。

試験に合格し、2度目のフルスカラをとっても、「またアメリカ行く」程度の反応だった。

コンクールで1位のように順位づけされたものであれば評価されたのであろう。

英検合格の方が全校集会でたたえられる。

中学生の頃は良かった。

演奏のDVDを渡すことができた指導者がいた。

勉強が大変でドラムを辞めようとした時、続けることが大事だから続けさせてと親に言ってくれ、常に応援してくれた。

あの時辞めていたら今頃の自分はだめになっていたと思う。

ライブに来てくれて自分を認めてくれることを言ってくれた指導者もいた。

すごくうれしくて今となっては貴重な存在だった。

応援の言葉が励みになって学校も頑張れた。

今思うとその時の成績は良かった。

TOEFL(英語)で在籍している所は

自分をとにかく知ろうとしてくれて自分の優れているところを捜してくれた

教えなくても映像を探しあてて見てくれていた

ライブがあればバンフレットを貼ってくれて宣伝してくれ、ライブにも来てくれた

米国から来た指導者に紹介してくれて高い評価を得た

バークリー賞の受け取り方の重みも違った

いつのまにか、自分の考えを素直に言える場所となっていた

今は連日学校帰り、この居心地の良い場所へと足を運び勉強している。

あまりの違いに気がつき

限界かもしれない

勉強がいやなんじゃない

合格の数を誇る国では

軍事パレードからそれたら

        こうなる


明日もまた


パレードに参加する

ドラムなんかと蔑まれても

自分は真剣に世界を目指したい


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